2020
02/21

〜55歳の退職ストーリー(14)〜 「心臓の手術をして思ったこと」


相変わらずの暖冬で、異常気象を心配しつつも、過ごしやすくほ“わほわ”と生きておりますが、皆様いかがお過ごしでしょう。

新型コロナとか、この先の経済(=私の実入り)にも直結しそうな物騒な心配事がありますが、まー何とかなるでしょう。

さて、前回少し触れた、この「なんとかなる」の心持ちにもつながっている、心臓手術のことを少し…

去年の7月に心臓のアブレーション手術ってのを受けました。

10年来ほっといた不整脈が徐々に酷くなって細動まで自覚するようになったので受診したところ、脳梗塞のリスクがあるとのことでしたので、二つ返事で手術することにしました。

心臓の手術って言っても、開胸するわけでもなく、足と鎖骨辺りからカテーテルを入れて…電気で悪さしている部分を焼く! 所要時間3時間(本当に医学はすごいね)

足掛け4日の入院だったのですが、あっさりしたもんで、最終日にのんびり朝ごはんたべてたら、看護師さんが「まだ、準備してないんですか? もうすぐ次の人が入りますので、早く出てくださいね!」ってな感じでした。

…ちくしょう…冷たいね

で、

私:「すいません、ドクターから激しい運動以外は直ぐにいいよって言われたんだけど、性行為は激しい運動にはいりますか?」

看:ぬぅあにーーーという感じで冷めた眼で「人によりますが、〇〇さんは激しいんですか?しばらく我慢できないような歳じゃないんじゃないですか」

私:チーーーン…

 

どうでもいい話ですね

 

さて本題

「今、生きていることは普通なんじゃなくて、すごい奇跡的なことだなー」ということを実感しましたってことです。

手術の麻酔のとき、「じゃあ今から麻酔かけていきま…」から全く意識がなく、何か事故があったら、あれが私の最後の記憶だったわけで、実にあっさりジエンドなわけです。

死ぬってことがすごく身近に、隣り合わせであるって感じ、同時に生きているって凄いことだなと、心の底から思いました。

心臓が正常に動くことに、誰も感謝も驚きも持たないでしょうけど、これって凄い確率の上でなりたっていると感じます。

食べたものが無事消化されエネルギーになり、脳から正常な信号が届き、心筋も正常で…どんだけの積み上げなんだろうか

それ以外にも、もし、あの道を通っていたら、3分早く出ていたら、違う電車に乗っていたら

私だけじゃなく、生まれる前からの先祖代々の何気ない選択のすべての結晶としての奇跡が今の私ってことに気が付きました。

「何で俺には宝くじ当たらないんだろう」「なんで皆はオイシイ仕事が巡ってくるんだろう」って羨んだり妬んだりもしましたが、そんなこと、この奇跡に比べると実にたしたことない。

(奇跡のほんのチョイ足しくらいでしょうか)

 

ここまで奇跡を積み上げといて、「どうしようもなくなる」ってな無駄な結末は、神も仏もしないだろう…

ということは「まーなんとかなるんだろう」という悟りにもにた境地に至った次第です。

なので、嫌なことを我慢(こんな我慢するために奇跡が積みあがったわけじゃねーだろ)するより、少しでもワクワクするようなことに、安心して進んでいこうと思っております。

おかげさまで、30年ぶりくらいに楽しいって思える、この先のライフワークにしてもっていう仕事にかかわり始めています。それはまた今度 ではコロなっちに気を付けて!

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